匿名か実名か―ソーシャルメディアが抱えるジレンマ
Story

Facebookが、最新のアクティブユーザー数やモバイルユーザー数を発表した。2013年4Q時点でのMAU(月間アクティブユーザー)は12.2億人、モバイルからアクセスをしているMAUは9.4億人で、PCをまったく使わない“モバイルオンリーMAU”は2.9億人という。そして、2013年4Qの売上は約2585億円で、そのほとんどは広告収入によるものとのことだ。

この数字だけを見る限り、Facebookの事業に問題はないように見える。IPO当初に懸念されたモバイルトラフィックの低下や、それによる売上低下の心配は完全に払拭されたようだ。

しかし、もうひとつ不安視されているリスク――若者のFacebook離れに関して、現時点で数字には明確に反映されていないものの、明らかな脅威として内外で認識されていることはまちがいない。Facebookユーザーが増えれば増えるほど、逆に若者からの支持を失うという、どうにも不可避的な状況が続いているのである。

それはなぜかというと、結局のところFacebookが金科玉条のごとく掲げてきた“実名制”による窮屈さを、若者が耐えられないからにほかならない。Facebook最大の特徴であり、成功要因であるのは、リアルな社会での人間関係や社交的な行動すべてをオンラインにもち込んだことにあるが、逆にそれが尋常でない窮屈さも与えている。若者からすれば、友人同士の他愛ない遊びについての話を、親や教師のいる前でできるわけがないのだ。

人々は、それほど仲が良くない、ほとんど初対面の相手ともFacebookで「友人」申請を行うようになった。結果としてそれほど面識のない人にも、日々の自分のアクティビティを知られることになっている。そうすると、売名行為や自慢したいことを周知させるためのツールとしてFacebookを使う人が増える半面、ちょっとした愚痴や友人に向けてのくだらない話をFacebookに書けば、予期しないほど多くの人に伝わることを思い知らされ、徐々にFacebookへの書き込みを恐れるようになる。目の前にカクテルと思しきグラスが置かれた写真をアップしたことで、飲酒の誤解を受けた高校生という話はいかにもよくありそうなことだ。

Facebookも重々承知しており、書き込みが特定の友人や知人だけにしか読めなくするプライバシー設定を行えるようにしたが、そんな小難しいことをするなら、最初からメールやメッセージングサービスを使うというものだ。Google+にもサークルという、プライバシーレベルを変更できる機能があるが、結局誰も使わない。

同時にFacebookは、コミュニケーションの場がメッセージングサービスに移ることも想定して、Snapchatの買収(失敗した)やWhatsApp、Instagramの買収に動いたし、Facebookメッセンジャーの機能向上とアプリの独立化にも積極的だ。

しかしながら、それらの戦略が、明確にFacebook衰退への不安を払拭できているかとそうでもない。なぜなら、実名による窮屈さによってFacebook離れをしはじめているのは若者だけではないからだ。大人もまた、会社の上下関係や社会的な肩書きそのままのFacebookでは好きなことが話せない。休日の趣味や交流関係を、関係ない会社の上司にとやかくいわれたくはないだろう。

要するに、インターネットの世界には、ふたたび実名制から匿名性への揺り戻しが起きているのだ。Facebookの便利さは認めるにしても、その便利さが産む窮屈さが匿名性のコミュニティやコミュニケーションの必要性をつくり出している。まさしく光と影であり、光が強いからこそ影もまた深く濃く翳るのである。

日本国内においては、おそらく米国の事情以上に、若年層に対するFacebookのプレゼンスが落ちているようだ。十代はいまだにTwitterを使っているようだし、InstagramやVineなどにはまっている様子もよく聞く。親しい間柄でのコミュニケーションとしては完全に市民権を得たLINEもまた、最近ではFacebookばりのタイムラインの普及に力を注いでおり、Facebookに意識を向けるのは社会人として企業に入り、30~40代以上の現行のFacebookユーザーと直接コンタクトがはじまってから、ということになりそうな雰囲気である。

とはいえ、InstagramやVineは実名制に近く、LINEは完全に実名制だ。InstagramやVineの利用者がFacebookのように増えたときには、現在のFacebookが抱える窮屈さの悪夢が同じように顕われるように思われるし、親しい相手とのコミュニケーションに特化して成長したLINEもまた、タイムラインに力を入れすぎれば、結局Facebook同様の実名の窮屈さの罠に陥る。

そしてまた、匿名を重視したコミュニティや、友人以外には隔絶されたツールのニーズが生まれる。歴史は繰り返す、というほかあるまい。

www.mdn.co.jp/di/newstopics/35221/

 

 

成功するにはライバルが必要
Story

少年漫画、特に少年ジャンプを見ればわかるけれど、大成功をおさめた作品の主人公には必ず強力なライバルがいる。

ジョジョにはディオがいるし、大空翼には日向小次郎、風吹裕矢には早瀬左近(古いなw)といった具合。ジョーには力石やカーロス・リベラがいて(ますます古いかw)、星飛雄馬には花形満がいる(もうやめよう)。

つまり、物語を盛り上げるには、強いライバルとの戦いを描くことが一番手っ取り早い。それも、すぐに戦わせるのではなく、彼らそれぞれの挑戦をドラマティックに描きながら成長させ、佳境に入ってから戦わせる(一方が先に死ぬことで主人公の孤独な戦いに別のドラマを与えるときもある)。

逆に言うと、ライバルがいないとドラマにならないわけだ。

同じように、スタートアップにもライバルがあったほうが盛り上がる。投資家も注目しやすいし、市場の可能性を意識しやすいから投資熱も高まる。最近の日本の事情でいうと、ランサーズとクラウドワークスは分かりやすい。また、BASEとSotres.jpの無料ECサービス同士の戦いは、Yahoo!ショッピングの無償化戦略への転換もあって、市場全体にインパクトを与えたといっていい。(矢吹丈が力石徹との戦いを経て、やがて最強のホセ・メンドーサと戦うことになるという図式そのままだといえるね)

そして今一番熱いのは、グノシーとスマートニュースの、ニュースキュレーションサービスのマッチレースだろう。グノシーは臆面もなくUIをスマートニュースに寄せてきて(褒めてます)、IT系のアーリーアダプターではなく、一般層のユーザートラフィックをとりにかかってきた。そのためにKDDIから12億もの巨額の資金を集め、ウルトラマンを使ったテレビCMまで仕掛けてきている。(まあ、日本のスタートアップ事情も変わったというか、だいぶ大きな資金を動かせるようになったものだ)

ちょうどテレビではペプシが、完全にコカコーラを意識した比較広告や、小栗旬を起用してコカコーラを鬼、自分たちを桃太郎に例えたCMを打ち出して話題になっているが、今回のグノシー対スマートニュースのマッチレースもまた大きな話題としてソーシャル界隈をにぎわすだろう。

どうしても起業家は全くのフロンティアというか、ブルーオーシャンを探そうと考えがちだが、誰もいない荒野で自分だけを目立たせるのは至難の業だ。

つまり、少しは強そうなライバルがいる市場に突っ込んで、投資家やユーザーの目を引くことも大事ということだ。誰もいない市場を切り開くのは、十二分な資金を集めてからにすべきだね。これは、ほんとに大事なことだ。

 

*REVOLVER